何がどう違うのか、「コムデギャルソン」の全16ブランド完全解説
コムデギャルソンの会社設立は1973年、創業者はデザイナー兼代表取締役の川久保玲。
中核となるブランドは、「コムデギャルソン」「コムデギャルソン・オムプリュス」「ジュンヤワタナベ・コムデギャルソン」「コムデギャルソン・ジュンヤワタナベマン」の4ブランド。川久保玲と渡辺淳弥がパリコレクションで発表する、クリエーションを凝縮したデザイン性の高いブランドである。
創造集団とも称され、そのクリエーションが世界に広く認知されると同時に、栄枯盛衰の激しいファッション界にあって、一企業として40年を経てもなお着実に成長し続けているコムデギャルソン。
パリコレクションに参加するブランドからバッグや香水に特化するブランドまで、現在16ブランドを抱えるコムデギャルソンの各ブランドの特徴と秘密に迫る。
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COMME des GARCONS
コムデギャルソン 1969年~ 川久保玲
コムデギャルソン社の中核をなす4ブランドのなかでも、会社を牽引する柱となるブランド。
川久保が、コムデギャルソンの名称で婦人服製造と販売を開始したのは1969年のこと。73年にブランド名と同じ社名で会社を設立する。
75年に東京で初のショーを行い、81年には、海外でのビジネス展開を考えパリに進出。翌年に発表した、穴があき、引き裂かれたような黒の服が「ボロルック」と呼ばれ、批判にさらされる。

川久保は、自分がキレイだと思ったものを提示したに過ぎなかったが、当時のボディラインを強調したセクシーファッションの信奉者には、受け入れられない服だった。この時のファッション界に与えた衝撃が、コムデギャルソンのイメージを決定づける。
コムデギャルソンのアイコンともいえる水玉、チェック、スパンコールやレース、チュールなど、甘くかわらしい要素が先鋭的な表現の一部となるのも特徴的だ。川久保が、「自由と反骨精神」をエネルギーの源に世界的なブランドに成長させていったコムデギャルソン。
強くて新しいもの、かっこいいと感じるものをつくるという姿勢は今日でも変わることなく、貫かれている。
COMME des GARCONS COMME des GARCONS
コムデギャルソン・コムデギャルソン 1993年~ 川久保玲
川久保のベーシックともいえるスタイルを多彩に提案し続けるブランドとして93年に開始し、フランス社が運営する。コムコムという愛らしい略称でファンを多数抱える。
2004年に、日本生産の「ローブドシャンブル・コムデギャルソン」(81年に大人の女性のための部屋着として発足し、やがてアウターウエアへと変化したブランド)と統合されている。現在は、フランスと日本にておよそ1:1の割合で生産が行われている。サイズ展開が豊富で、靴、バッグなども加わるフルラインが展開される。
パリコレ期間に並行して展示会が開かれ、現在は海外での売りげを伸ばしている。ヨーロッパで生産した商品に関しては、関税が掛からないため、生産地ならではの価格を設定できる。このことを利用し、日本からの輸出商品に比べると安価で提供できるため、欧米にファンが多い。
COMME des GARCONS HOMME PLUS
コムデギャルソン・オムプリュス 1984年~ 川久保玲
川久保玲がデザインを手がけ、パリコレクションに参加するメンズブランド。
84年からパリにて最初のショーを行っている。当時主流であった、いかつい肩とウエストをシェイプしたシルエットに対して、川久保は肩の力の抜けた、ゆるやかな服を提案した。その姿はメディアから、「自由を着る男たち」「戦争をしない男たち」と評された。

以降、紳士服の本質である基本を崩すことなく、その枠組みを超えた新しいスタイルを提案する。ジャケットの裏側の縫製をそのまま表にしたデザイン、異素材の組み合わせ、パッチワークやフリルなど、レディスと同じく、実に多様な手法で毎回斬新なスタイルが打ち出される。
90年代にはウールを縮級加工したコレクションを発表。縮小率の研究や素材へのリスクに挑んだ表現は、川久保らしい代表的なアプローチといえる。素材のほとんどが日本製のオリジナルだ。
COMME des GARCONS HOMME DEUX
コムデギャルソン・オムドゥ 1987年~ 川久保玲
「日本製の日本人のためのビジネススーツ」として87年にビジネスマン向けのブランドとしてスタートした。
設立時に話題となった「日本の背広」というキャッチコピーは、和魂洋才で培われた日本独特のスーツスタイルや文化を背景にしたことを謳ったものであった。その後、少しずつ変化を繰り返しながら、2009年にブランドを刷新。ロゴマークも変化し、ピッティイマージネウォモでのプレゼンテーションを行うなど、コレクションブランドとは異なるアプローチで、あらためて現代の男の衣服を問う。
また同時に、肩パッドのないジャケット、しわ加工を施したさまざまなアイテムなど、商品展開にも大きな幅をもたせることになった。ネクタイやシャツ、セーター、靴など、いわゆるビジネスアイテムをコムデギャルソンらしいデザインでアイテム展開を行っている。3年前より、海外でのビジネス展開を本格化している。
COMME des GARCONS SHIRT
コムデギャルソン・シャツ 1988年~ 川久保玲
ひとつのアイテムによって成立するブランドライン。それをシャツでつくるという発想からスタートした。シャツというオーソドックスなアイテムならではの奥行き、可能性を追求する。フランス社がブランド運営を行っ ているが、パターンメイキングは東京が主体。

シャツ本来の停まいを崩すことなく、その原型を第一に考えた素材の選定を行う。しかしながら、こうしたルールに基づきながらも、バリエーション豊かなデザインのシャツを数多く生み出した。その姿は、シャツデザインの分野に多大な影響を与えている。
その後、ビジネス戦略から、パンツ、ジャケット、靴、バッグまでアイテムの展開を広げている。なかでも「フォーエバー」と呼ばれるラインは、細番手の高級コットン地を使用し、素材や縫製ともに更なる徹底したこだわりを見せ、「シャツのシャツ」ともいうべきラインとなっている。
JUNYA WATANABE COMME des GARCONS
ジュンヤワタナベ・コムデギャルソン 1992年~ 渡辺淳弥
デザイナーの渡辺淳弥は、84年に文化服装学院アパレルデザイン科を卒業後、コムデギャルソン社に入社。92年、両国駅の旧改札口でショーを行いデビューを果たすと、翌年にはパリコレに参加する。
スパイラル状のスチールワイヤーを差し込んだ布が身体を取り巻く造形、アルミパイプと布が織りなす構築的な衣服、ハニカム構造によって膨らむ詩的なスカートなど、実験的で創造性に富んだコレクションを次々と発表する。デザインはもちろん、これらを支える技術も高く評価されている。
なかでも、精密なカッティングによるデニムのコレクションは、デニムの可能性を広げたと高い評価を得ている。近年は、既存のアイテムを解体して自らの解釈で「再構築」することで、トレンチコート、ダウンをエレガントなアイテムに変えたのが記憶に新しい。山本輝司、川久保玲に次ぐ日本人デザイナーとして、パリコレではなくてはならない存在になっている。
tricot COMME des GARCONS
トリコ・コムデギャルソン 1981年~ 栗原たお
トリコとは、フランス語で、「編み物、ニット」を指す。ニット類のみに特化したブランドとしてスタートした。
ブランド開始から数年を経て、布畠(織り物)を使ったアイテムなど、展開にも変化を見せる。川久保から渡辺淳弥へとデザイナーが交代した87年には、当時のコムデギャルソン社の国内の年間売り上げがいちばん大きなブランドへと成長した。
2002年には、渡辺のもとで服づくりを学んだ栗原たお(98年入社)がデザイナーとなり、ブランドもさらに変化を見せている。コレクションブランドとは異なり、コムデギャルソン全体の姿勢を維持しながらも、栗原の個性が全面に表れた、瑞々しく、愛らしいデザインが特徴だ。
展示会では約300型にも及ぶ膨大なサンプルを発表しているが、ここでも川久保がブランドのすべてをデザイナーに任せるという方針は変わらない。 今後も進化を遂げるであろう注目すべきラインのひとつだ。
COMME des GARCONS JUNYA WATANABE MAN
コムデギャルソン・ジュンヤワタナベマン 2001年~ 渡辺淳弥
コレクションごとにゼロからつくりはじめるジュンヤワタナベ・コムデギャルソンとは異なり、伝統的なものづくりと、歴史あるベーシックを渡辺なりに解釈し、解体して新しいメンズの力ジュアルを打ち出したライン。
良きものづくりの工場を所有した、尊敬できるブランドとのコラボレーションもブランドを支える要素のひとつだ。リーバイスへの強い思いからブランドが始まり、パリコレでは全面にメッセージがプリントされたリーバイスのデニムを実現した。その後、ザ・ノース・フェイスやモンクレールなどのスポーツプランド、マッキントッシュやトリッ力ーズなどのイギリストラディショナルブランドとも取り組む。メンズウエアのアプローチに、コラボレーションという新しい視点を提示しダブルネームの先駆けともなったベーシックながらも先進的なブランドだ。
女性ファンも多いことから、03年にコムデギャルソン・ジュンヤワタナベマンピンクも誕生し、女性向けにも販売される。
ノースフェイス/マッキントッシュ/モンクレール
いずれもJUNYA WATANABE MANコラボレーションアイテム
COMME des GARCONS HOMME
コムデギャルソン・オム 1978年~ 渡辺淳弥
78年に誕生したメンズブランド。コムデギャルソン社の中で、紳士服として最も長い歴史をもつ。
掲げるキーワードは、「GOOD SENSE GOOD QUALITY」。つまりは、良い素材、良い縫製、良いパターンの意味。当たり前に聞こえるが、デザイン過剰なメンズウエアが流行したDCブランド全盛の時代、オムのブラック、ネイビー、グレイを中心としたボックスシルエットのベーシックラインは、新鮮なものであった。
コムデギャルソン・オムはブランド発足時からさまざまな素材で提案をしており、なかでも、しわ加工のシャツはブランドアイコンになっている。
デザイナーは川久保の後、変遷を経て、2003年から渡辺淳弥が受け継いでいる。時代とともにパターンや素材感は変化するものの、着る人の個性を生かすさり気ないデザインは、渡辺スタイルの力ジュアルウエアとなった今日も脈々と受け継がれている。
COMME des GARCONS HOMME 2015S/S コレクションより
eYe COMME des GARCONS JUNYA WATANABE
eYeコムデギャルソン・ジュンヤワタナベマン 2005年~ 渡辺淳弥
コムデギャルソン・ジュンヤワタナベマンのセカンドブランドとして、2005年に発足した。コレクションブランドでもあるコムデギャルソン・ジュンヤワタナベマンは、毎シーズンに強いテーマ性をもっている。そのため、eYeコムデギャルソン・ジュンヤワタナベマンではそのスタイル、ニュアンスを補い、コーディネートの幅が広がるニュートラルなデザインが特徴。

ターゲット層は同じだが、テーマにとらわれず、自由で広がりをもったアイテム展開ならではの独自のファンを獲得している。
コムデギャルソン・ジュンヤワタナベマン同様、ザ・ノース・フェイス、リーバイスやリー、ニューバランス、ブルックスブラザーズなどのビックネームブランドとコラボレーションした商品を展開。展開するアイテムの点数はそれほど多くなく、京都店を除くコムデギャルソン・ジュンヤワタナベマンの売り場に併設されている。
GANRYU
ガンリュウ 2007年~ 丸龍文人
76年生まれというコムデギャルソン社の最年少デザイナーの丸龍文人は、文化ファッション大学院大学を経て、2004年に入社。当初は、ジュンヤワタナベ・コムデギャルソンチームの企画部に所属していたが、07年より当ブランドのデザイナーに就任している。

ブランドコンセプトは、「ポップと前衛とベーシック」。音楽などのユースカルチャーを取り込んだアプローチが見られ、身幅や股下に独特のたっぷりとした余裕をもたせたサイズ感が特徴的だ。シーズンごとに素材を変えて展開する定番のサルエルパンツは、川久保からの影響とストリートカルチャーの融合を感じさせる一品だ。こうしたアイテムから若年層を中心に顧客を増やしており、新たな才能として評価されている。異分子とも受けとれる才能を育てようとする川久保の、視野の広さをうかがわせる。ビジネスを発展させていく狙いも含めて発足したという。
PLAY COMME des GARCONS
プレイ・コムデギャルソン 2002年~ 川久保玲
「デザインしないこと」がコンセプトの、コムデギャルソン初のワンポイントプランド。プレイという言葉には、「遊びましようか」という意味合いも込められている。
半袖と長袖の丸首Tシャツ、ポロ、セーターを中心に、あくまでもベーシックでシンプルにこだわるラインだ。そのため、型は常に同じものを使用しており、価格にも反映されている。定番商品に加え、模様、柄などグラフィックで変化を加えたデザインが展開されている。男女兼用のサイズ展開は豊富で、他にもキッズ用の販売もある。
ワンポイントは、川久保の目とみまがう、強い視線のハート。これは、ポーランド人のグラフィックデザイナー、フィリップ・パゴウスキーによるデザイン。カラー展開は、レッドをメインに、ブラック、グリーンなどがあり、ここ数年、中国人観光客のお土産としてもプレイクしている。日本やヨーロッパを中心に、他のどのブランドよりも広くマーケットに届いているラインだ。
メキシコシティにある「PLAY ROOM」
BLACK COMME des GARCONS
ブラック・コムデギャルソン 2009年~ 川久保玲
世界同時不況をもたらしたリーマン・ショックなどの不景気に対応すべく、2009年、エマージェンシーブランドとして発足したブラック・コムデギャルソン。時代に即した柔軟な対応、アイデア段階から立ち上がりまでの早さなど、川久保のデザイナーと経営者の両方の側面をうかがい知ることが出来る。
展開するアイテムでは、通常とは異なった生産体制を行うことで、コレクションラインの60%で買える手頃な価格を実現させている。これまでの人気の型を踏襲することなどで、コムデギャルソンのアイコン力ラーといえるブラックを基本にアイテムを展開。ブラックを引き立てるホワイトやゴールドも使われている。シャツやパンツなど、幅広いバリエーションのアイテムが揃う。
当初は、初めてコムデギャルソンに触れる若年層へのアプローチとして始まったが、往年のコムデギャルソンのファンがアイテムに反応するなど、予想以上の評判を集め、当初予定されていた期間限定ではなくなり、継続されている。
BLACK COMME des GARCONSの広告
THE BEATLES COMME des GARCONS
ザ・ビートルズ・コムデギャルソン 2009年~ 川久保玲
「コムデギャルソンによるビートルズ」を強くコンセプチュアルな方法で展開する、バッグ類がメインとなるブランド。ザ・ビートルズ側のヨーコ・オノが、コムデギャルソンに声をかけたことがきっかけで実現した。アップル・コア社の公式ライセンスのもと、ザ・ビートルズのアップルのロゴとコムデギャルソンのアイコンともいえる水玉をグラフィカルにデザインしている。
素材はポール・マッカートニーの意向によりレザーフリー(本革不使用)。そのためポリ塩化ビニールやポリウレタンを使用して、レザーにはない軽さを実現している。さらにリズミカルなボート型で提案するなど、形状も特徴的だ。
2009年、東京・表参道のGYREにオープンした「トレーディングミュージアム・コムデギャルソン」で、初展開となった。バッグのみならず、補完するかたちで、同様のグラフィックを用いたメンズとレディス共通のシャツとTシャツも販売中。
COMME des GARCONS parfums PARFUMS
コムデギャルソン・パルファム パルファム 1994年~ 川久保玲
1994年にフランス・パリで設立されたフレグランスに特化したブランド。このため、香水の製造・販売をするコムデギャルソンパルファムS.A.を設立している。エアパッキングで包装した自立しないボトル、スパイシーな香りで、フレグランス界に鮮烈なデビューを飾る。

ブランドコンセプトは、アンチ・パフューム。従来の装いを完成させるのではなく、自分を奮い立たせるような香りを目指す。2000年には男性向けのフレグランス販売され、コムデギャルソンらしい香りとパッケージに、欧米を中心に売り上げを伸ばしている。
およそ1年~1年半ごとに新作を発表。赤にまつわる香りの「レッド」、香りそのものの「インセンス」などのラインがあり、わずかな廃番を除き、販売がいまも継続している。日本では、フレグランスコーナーではなくデザインやインテリアショップ、ミュージアムショップなどでも販売されている。
Wallet COMME des GARCONS
ウォレット・コムデギャルソン 設立年不明 川久保玲
ウォレット(財布)に特化したブランドとして発足。フランス社が一括して生産・営業を行っている。
これまでは、長財布、折り財布、小銭入れ、カード入れなどの定番となる6型を展開していたが、最近ではipadケースなども加わり、型数を増やしている。鮮やかなカラーリング、クローバーや数字をつかったポップな型押しで、これまでの財布のイメージを一新する。すべてスペイン製のカーフレザーをしている。スタンダードで使い勝手のよい原型は変えずに、カラーや素材の仕上げ、型押しのパターン、ステッチの違いなどで、毎シーズン、新鮮なデザインが定番の商品に加わる。
パリコレ時期に行われる展示会で発表しており、徐々にその確かなつくりやデザインから人気を集めはじめたブランドだ。欧米の老舗ブランドの財布に飽き足りない消費者に支持され、いまやコムデギャルソンにおけるスタンダードなアイテムにまで昇華した。